太田肇 Critical Essays ”個の視点”

同志社大学政策学部教授 (個人尊重の組織論、モチベーション論)  日常生活のなかで疑問に感じたとき即座に書いたものがほとんどです。不完全な内容や思い違いがあるかもしれませんが、お許しください。

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本質的なものと、そうでないもの

 田中耕一さんのノーベル賞受賞が報じられてから半年が経ったが、そのすがすがしさは今も私たちの周辺に広く漂っている。すがすがしさの源は、彼の素朴で控えめな人柄にもあるが、これまで私たちの周りにまつわりついていた根拠の乏しい固定観念を払拭してくれたことにもある。
 たとえば、ノーベル賞を受賞するには国際的な学会で名声が確立されていなければならないとか、一流の研究者は少なくとも大学院を出て博士号をもっていることが最低条件だとかいわれてきた。また、研究者としての水準は企業の研究者や技術者よりも大学の研究者の方が上だといった思いこみ(思い上がり)があったことも否定できない。さらに、独創的な仕事には、クラシックをはじめとする芸術を鑑賞し、文化的な教養を身につけておくことも必要だといった話がまことしやかにささやかれ、なかには好きでもないのにコンサートや美術館通いをする研究者もいた。
 こうした俗説をはっきりと否定し、「大事なのは仕事の成果だ」という当たり前のことを私たちの社会に、また働く人々に象徴的な形で示し、多くの人々に勇気と自信を与えてくれた田中さんの功績は大きい。同時に、一サラリーマンである田中氏の研究成果を正しく評価したノーベル賞選考委員に対しても敬意を表したい。
 私たちは、知らず知らずのうちに、本質的なものとそうでないもの、最終的な目的になるものとそのための手段にすぎないものを混同し、本末転倒に陥っていることがある。ここでは、そのうちの組織や制度について考えてみたい。
 多くの会社は、社内の活性化というかけ声のもと、能力主義制度、フレックスタイム制度、ジョブローテーションといった制度を競って導入し、また各種の会議やさまざまな活動・行事を取り入れようとしてきた。さらに、社員を採用する際には、学歴や専門知識に加えて、英会話の能力やコンピュータの知識など、つぎつぎにハードルを増やしていく。大学も事情は同じだ。大学改革の荒波のなかで、教育や研究の質向上という名のもとに、さまざまな制度が導入される。そのためにまた、各種の組織や委員会がつぎつぎに設置される。
 こうした制度づくりにまったく意味がないとは言わないが、なかには本来の目的のために役立たないばかりか、かえって目的を達成するうえで障害になっていることもある。
 かつて各企業が、能力主義を看板に掲げ職能資格制度をこぞって導入した時期があったが、皮肉なことに現場レベルで受け継がれてきた能力主義が後退し、むしろ年功序列にお墨付きを与えてしまったケースが少なくない。機械的なローテーションによって、仕事への一体化や専門的なキャリア形成が阻害されたという面もある。また、ある広告会社では、社員が自由に活動できるようにという趣旨でフレックスタイム制を導入したところ、かえって窮屈になったという不満が社員の間から噴出したという。もともと時間を気にせず仕事をしていたのが、制度化によって枠をはめられるようになったからだ。
 大学でも、会議や資料づくりに多くの時間をとられるようになったため、その分、肝心の教育や研究にしわ寄せがきている可能性は否定できない。行き届いた教育や腰をすえた研究ができなくなったという声があちこちでささやかれる一方、教育サービスの向上によって学生の質が良くなったという話はあまり聞かれない。
 それにもかかわらず、なぜこのような現象が起きるのだろうか。原因として、つぎのようなことが考えられる。
 第一に、工業生産型、あるいはキャッチアップ型パラダイムの残存である。工業生産、とりわけ少品種大量生産のシステムでは、インプットはほぼ確実にアウトプットに結びつく。それは生産現場に限らず、ホワイトカラーの職場でも同じだ。したがって、組織や制度をつくっておけば、一応の仕事はこなすことができたわけである。雇用や人事管理の面でも、学歴、資格、勤怠など入り口の部分をきちっと管理しておけば一定の成果が期待できた。そして、勤勉さを装う振る舞いや、「遺漏無きよう万全を期す」というタテマエのもとに制度や手続きはますます煩雑になっていった。
 企業や社会を取り巻く環境が変わっても、こうした現象がいつまでも消え去らない一因は、手続きや制度のような「手段」に比べて、本質的な目的や成果が見えにくいというところにある。したがって、企業の間接部門、それに研究機関や行政組織のように目的の達成度や成果が測定しにくいところほど、目に見える「手段」の方が重視されがちになる。手続きや制度さえつくっておけば何となく安心できるし、周囲への言い訳にもなる。そして、このような倒錯した状態に適応して生まれたのが資格マニアや偏差値至上主義者である。
 とくにわが国では、キャッチアップの時代が長く続き、個別企業も経済全体もそれなりに成功を収めてきただけに、その体質は社会の隅々にまでしみこんでいる。気がついたときには組織そのものが硬直化していて、新しい時代に取り残されているといったことにもなりかねない。
 第二に、本質的な仕事に比べ、そうでない仕事の方が個人にとって楽だということがあげられる。本来の仕事で成果をあげるには、当然ながら本腰を入れて取り組まなければならず、集中力や根気が要求される。それに対して雑務の方は、みんなでワイワイガヤガヤやっておれば何とかなるという気楽さがある。これを「悪貨が良貨を駆逐する」というグレシャムの法則にたとえた人もあったが、本質的な仕事からの無意識的な逃避が無駄な手続きや制度づくりを助長しているようにみえる。
 いずれにしても、本質的な価値を見失ったり、目的より手段が優先されたりすることは、組織にとっても社会にとっても危機的な状況だ。それを克服するためには、本来の目的や価値にできるだけ近いところで成果を評価すること、すなわち広い意味での成果主義が不可欠である。ただし、ポスト工業社会、脱キャッチアップの時代には「成果」の内容が大きく変わってきていることを忘れてはならない。
(『賃金実務』2003.5)
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プロフィール

太田 肇

Author:太田 肇
<ホームページ>
http://www.eonet.ne.jp/~ohtahajime/

<職業>
「組織学者」としておきます。

<主な研究分野>
組織論
とりわけ、「個人を生かす組織・社会」について

<肩書き>
同志社大学 政策学部・大学院総合政策科学研究科教授
経済学博士

<著書>
◆最新刊 『最強のモチベーション術 人は何を考え、どう動くのか?』(日本実業出版社)

『個人を幸福にしない日本の組織』(新潮新書)
『社員の潜在能力を引き出す経営』(中央経済社)
『がんばると迷惑な人』(新潮新書)
『子どもが伸びる ほめる子育て』(ちくま新書)
『組織を強くする人材活用戦略』(日経文庫)
『表彰制度』(日本表彰研究所との共著 東洋経済新報社)
『社員が「よく辞める」会社は成長する!』(PHPビジネス新書)
『公務員革命』(ちくま新書)
『承認とモチベーション -実証されたその効果-』(同文舘)
『「不良」社員が会社を伸ばす』(東洋経済新報社)
『「見せかけの勤勉」の正体』(PHP研究所)
『認め上手  -人を動かす53の知恵-』(東洋経済新報社)
『認められる力』(朝日新書)
『日本的人事管理論』(中央経済社)
『承認欲求』(東洋経済新報社)
『お金より名誉 のモチベーション論』(東洋経済新報社)
『「外向きサラリーマン」のすすめ』(朝日新聞社)
『認められたい!』(日本経済新聞社)
『「個力」を活かせる組織』日本経済新聞社)
『選別主義を超えて』(中公新書)
『ベンチャー企業の「仕事」』(中公新書)
『個人尊重の組織論』(中公新書)
『ホンネで動かす組織論』(ちくま新書)
『囲い込み症候群』(ちくま新書)
『仕事人(しごとじん)の時代』(新潮社)
『仕事人と組織』(有斐閣)
『日本企業と個人』(白桃書房)
『プロフェッショナルと組織』(同文舘)

<生活信条>
できるだけ人に迷惑をかけないこと。恩を忘れないこと。

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